医師国家試験取得後早期に明確な到達目標を設定して連続して行った心臓病シミュレーター『イチロー』実習の効果

伊賀幹二、小松弘幸、石丸裕康  天理よろづ相談所病院 総合診療教育部

抄録

9年度に採用された11名の1年目研修医全員を対象として、医師免許取得直後の5月とその3ヶ月後に心臓病シミュレーター『イチロー』を用いた2回の聴診実習を行った。それぞれの到達目標を、1回目は順序立てた身体診察法の習得と正常所見の理解、2回目は異常所見の検出とした。1回目の実習1か月後の時点では、「内頸静脈の怒張」、「頸動脈触診による収縮・拡張期の判定」、「S2の呼吸性分裂」、「収縮期雑音の最強点および放散」については全員がルーチン診察のチェック項目としていた。2回目の実習前後における心疾患に対する聴診能力では、ほとんどの研修医が上達したと自己評価した。初期研修開始1年を経過した時点では、内頸静脈と頸動脈拍動の分析はなお不十分としたが、順序立てた診察法の習得、ギャロッ音と3/6度以上の心雑音の検出に関してはほぼ可能であるとし、大動脈弁疾患および僧房弁疾患の存在診断についても全員が可能であると自己評価した。

到達目標を明確に設定し、短期間に繰り返し行った『イチロー』を用いた聴診実習は、研修医に順序立てた診察を習慣づけ、異常心音・心雑音を注目する動機付けとなり、その診察能力を向上させた。

キーワード:身体診察、循環器、卒後臨床教育、小グループ学習

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Long-term effect of repeated auscultation training using Cardiology simulator "Ichirou" or the first year medical trainees with a specific behavioral objective done shortly after getting medical license

Key word: auscultation, post-graduate medical education, small group learning

Summary

ation training was done twice shortly after getting medical license for all the 1st year medical trainees with a specific behavioral objective. The first training was aimed for understanding of normal heart sounds and the way to take proper physical examination in order, and the second one of abnormal heart sounds and murmurs.  After the first training, all the trainees had taken physical examination in order with special attention to jugular vein, differentiation of systole and diastole by pulsating carotid artery, S2 splitting and timing and transmission of heart murmurs. Just after the second training, all the trainees considered themselves to improve their auscultation ability for abnormal heart sounds and murmurs. One year later, they were accustomed to take physical examination properly in order, were able to pick up more than grade 3/6 heart murmur and gallop rhythm. These repeated training with a specific behavioral objective could be a training to give motivation of understanding both normal and abnormal heat sounds and murmurs to medical trainees.

 

はじめに

卒前教育において、学生は一通りの診察法を教えられ、大学によれば客観的臨床能力試験で評価される。しかし、過去3年間に我々が本院で採用直後の研修医に対して行った診察実技テストでは、必要事項が多く洩れ、診察の途中で次に何をすべきかを考え始めてしまうため、順序立てた診察をスムーズにできずに診察が途中で停止することが多くみられた(1)。我々は、身体診察により異常所見を検出するためには、まず順序立てた診察を習慣づけることを提唱し、上級研修医が責任をもって教えることを実践してきた(2,3)。欧米のクリニカルクラークシップと異なり、日本のベッドサイド教育ではその期間が短いため、指導医側は診察の順序より異常所見を教えようとし、順序立てた診察を一つの到達目標とすることは困難である。

今回、1999年度に採用された初期研修医に対して、医師免許取得直後より到達目標を明確にした『イチロー』を用いた循環器疾患の診察実習を行った。今回の論文では、2回の実習の前後、および1年経過した時点での自己評価を行うことにより、この実習が身体診察法の習熟にどのように影響を与えたかを分析することである。

対象と方法

1999年度に採用された1年目研修医を対象として、医師免許取得早期と3ヶ月後に到達目標を定めた心臓病シミュレーター『イチロー』を用いた診察実習を行った。『イチロー』は、京都科学の好意で金曜夕方から月曜朝までの4日間、借用することができた。

第一回目は医師免許取得直後の5月に、卒後5年目の後期内科研修医を指導医として患者から順序立てて所見をとることと正常所見の理解を到達目標とした(表1)。研修医は、3ヶ月後に行う第2回目の『イチロー』実習までに、実際の患者から順序よく正常所見をとれるよう自己学習することを言い渡された。

第二回目の指導は、著者より指名された4名の2年目研修医が担当した。到達目標として、以下の疾患の異常所見を検出できることとした。対象疾患モデルとして、大動脈弁狭窄症、大動脈弁閉鎖不全症、僧帽弁狭窄症、僧帽弁閉鎖不全症、心房中隔欠損症、ギャロップ音を選択した。実習前日に指導にあたる研修医の一人より、順序立てた診察法の復習を『イチロー』を用いて行い、形成的評価を行った。11名は、翌日、2〜3名1組の4グループに分かれ、各々3時間の実習を受けた。各1年目研修医が『イチロー』の疾患モデルから順次所見を述べ、指導する研修医とその分析および診断に至る過程を討論した。提示した上記心疾患の病因・自然歴等につき、指導した研修医が適宜講義を行った。解釈困難になったときや病因や自然歴につき不正確な知識を講義したときのみ、オブザーバーとして同席した著者が修正を加えた。実習後に到達目標に対する自己評価を行った。初期研修開始1年後、この実習を受けた研修医が患者から順序立てた診察と異常所見の検出をどの程度行えるようになったかを自己評価した。評価基準は1−4の4段階とした。

結果

1回目の実習1か月後では、「内頸静脈の怒張」、「頸動脈触診による収縮・拡張期の判定」、「S2の呼吸性分裂」、「収縮期雑音の最強点および放散」については全員がルーチンの診察項目に含めていた。2名の研修医が、「長いRR後の心雑音の変化」、「内頸静脈の波形」については診察時に注目していないとした。

2回目の実習の目標とした心疾患の聴診所見については、大動脈弁狭窄症兼閉鎖不全症では1.7から2.5ポイントへ、僧帽弁狭窄兼閉鎖不全症は1.5から2.3ポイントへ、心房中隔欠損症は1.5から2.4ポイントへ、ギャロップ音は1.6から2.5ポイントへと、自己評価が実習前に比して上昇した(図1)。1年後の評価では、順序立てた診察、ギャロップ音、3/6度以上の雑音については、満足できる結果であったが、内頸静脈及び内頸動脈の分析はなお不十分とした研修医が多かった。代表的な弁膜症の診断は全員がなんとか可能となったとした(図2)。「実習の指導医としては、経験および知識が豊富な医師がよい」とした1年目研修医は1人もなく、9名が1年上級の研修医の方がよかったとした。理由として同世代であるため何でも聞けるといった意見が多かった。1年上級研修医が自分たちを指導することをみて、5名が、「自分も1年たてば異常所見をとれるようになると思う」とコメントした。

考察

カラードプラ心エコー図法の普及により、弁膜症の診断はより心エコー図法に依存する傾向となってきた。そのため、臨床的意義のない軽症の弁膜症例が、心エコー検査により重篤な弁膜症とされ、患者に無用な心配をさせ専門病院において不必要な再検査がなされることが多い。そのような、非効率な医療を回避するためには、将来内科を標榜する医師にハイテク機器に対抗して病歴・身体診察から心疾患をある程度は診断できる能力を習得させる必要がある。しかし、実際の患者を教育資源として身体診察法を習得させるためには、多人数の研修は適さず、すべての学生・研修医が研修することは現実には不可能である。一方、市販されている心音のテープやCDとは異なり、『イチロー』の良い点は自分の聴診器でゆっくりと納得するまで所見をとれ、聴診器の使い方を知ることである(4)。

医師免許取得直後に、診察の順序と注目点を『イチロー』を用いて教え、その知識を実際の患者に応用できているどうかを1ヶ月後に自己評価させ、満足のいく結果を得た。また、その知識の上に行った疾患の理解を目標とした2回目の実習でも、実習前に不十分だった疾患に対する聴診技術がある程度は上昇した。その後1年経過した時点でも順序立てた診察を実践できているとの自己評価であった。また、大きな雑音やギャロップ音は多くの研修医が自信ありとし、心臓疾患に対する初期治療を行う上に十分な身体診察法を習得していたと思われる。しかし、内頸静脈の分析、頸動脈の触診に対しては、自信がないとした研修医が多かった。これは、短期間の『イチロー』実習のみでは不十分であり、貸与ではなく購入し、繰り返し実習をしなければ習得できない項目であると考えられた。

我々は、『イチロー』実習を、2〜3人の少人数構成で一組3時間の実習を行い、機器があいているときは自由に聴診ができるスタイルで実習を行った。医学レベルがある程度一定である1年目研修医に対して、悪い診察習慣がついていない医師免許取得直後より到達可能な目標を定め、形成的評価を行いながら2回目では1回目の知識の上に立つような実習を行ったことが、この実習が有用と評価された大きな要因であった。また指導医は上級研修医で十分であったことから、このような実習を1年目研修医をチュータとして医学部の5、6回生に繰り返し施行できれば、卒前教育として順序立てた診察法を習得でき、連続性をもった卒後臨床研修が可能になると考えられた。

付記

この実習を受けた1999年度採用の研修医は、本年5月に行った2000年度に採用された新1年目研修医を対象とした『イチロー』実習において、全員が参加し、4名のチームリーダーを選出し、順序立てた診察を習得することを目標した実習を立案・実行できた。本論文では評価が高いと思われた上級研修医を指導医として選んだが、全員参加のこのような実習は、卒後教育の「教え・教えられる」研修方法の一つのよい実例と考えられる。また、実際の心疾患患者を資源として本稿で対象とした11名の研修医全員に客観テストをすることは困難でり、自己評価のみしか提示することができなかったが、2000年度の研修医に対する『イチロー』を用いた指導方法をみていると、全員が少なくとも『イチロー』からは異常所見を正確に検出できると思われた。

謝辞

今回の実習期間中、快く心臓病患者シミュレーター『イチロー』を貸与して下さった京都科学に深く感謝する。

 

本論文の一部は第32回医学教育学会(仙台)にて発表した。

文献

1.     伊賀幹二, 石丸裕康 卒後研修開始より1ヶ月間に行った身体診察の習得方法 JIM 1998,8:1040-1041

2.     伊賀幹二, 石丸裕康:初期研修医による夏期学生への身体診察法の指導.JIM 1999,9:172-173

3.     伊賀幹二, 石丸裕康, 八田和大・他:循環器疾患における身体診察法の習得−1年目の初期研修医に対するマンツーマン個別指導−. 医学教育 1998, 29:411-414

4.     高階經和:新しい心臓病患者シミュレーター“Ichiro”とその診断手技向上における教育効果. 医学教育 1998,29:227-231

 

図表説明

表1:順序立てた診察所見項目

 

図1:2回目実習直後の聴診自己評価

 

 

 

図2:1年後の自己評価

AR:大動脈弁閉鎖不全症、MR:僧帽弁閉鎖不全症、AS:大動脈弁狭窄症、MS:僧帽弁狭窄症